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mikan's Japan 通訳案内士の覚え書き 目次

高山市

95000人、2200平方km(850平方マイル、540000エーカー(東京都と同じ)(岐阜県210万人、1万平方km)

日本一大きな市 92%がforest 年間320万人の観光客、うち22万人が外国人

3000m急激の山々、北アルプスに囲まれている 海抜573メートル(京都は27メートル)

1000年以上前からskilled wood craftmenで有名 奈良capitalにtaxとして一年間行った 600年間で8万人

→飛騨春慶塗り、一位一刀彫り(用の美)

16世紀後半(1586) established as the castle town of the 金森clan(近江から)

<107年間> 高:侍、低:町民、東:寺 宮川=鴨川、東山に寺、京都がモデル 1kmx500m 文化発展(茶道)

1692 placed under direct control of the Shogun’s government <170年間>

↓ governor/magistrate 農民一揆など

1868 高山の名前は、高山外記(京極氏の家来?)が16世紀にお城を作ったらしい

高山市 グルメ(火曜日休みが多いので注意)

郷土料理:京や、すずや ビーフ:匠屋、JA味蔵、丸明、ルミディ、キッチン飛騨

寿司:松喜寿司

麺類:ちとせ、やよいそば、つづみそば、えびす本店(蕎麦)、みやび庵(蕎麦)

飲み:本郷、雨音ダイニング(市役所近く)、菊や、椿屋、八角亭、あーちゃん(焼き鳥)、オリジン(高山駅すぐ。孤独に食べるガイド向き。関西に在住していた店長が話し相手になってくれる。)

カフェ:富士屋花筏、布久庵、センターフォーハンバーガーズ、花水木、フロール(パスタとエスプレッソ)、cow cow(ヨーグルト) 高山市内に酒蔵は6つ(飛騨地方全体だともっとある)

三町marchante district

大火災があったので、土蔵をのぞき19c始 1966から保存会 1998 市がcableをunder the eaves

ベンガラ iron oxide=mixture of red ocher and ash 菜種油で色どめ 防火用水は冬季雪を流す 日本酒の1年は7/1-6/30 秋に収穫した米を使い年明けに出す。

高山陣屋 historical government house/head officials were sent from Edo

1692-1868 177年 25代(11代まで代官、12代から郡代) 廃藩置県後、高山県庁舎などとして1969年まで使用。

飛騨国分寺 provincial temple of Hida

(今は真言宗)state-supported temple 8cから 16c再建 三重塔 8c by 聖武、1615から 1821再建(元は七重の塔) 本堂は桃山時代16c 薬師如来、ヒノキ イチョウ 1200年

宮川朝市

江戸時代から。6時から12時 ピーク時は60軒 さるぼぼ 猿の赤ん坊のかたちをしたおもちゃ(見ざる、言わざる、聞かざる) エスプレッソコーヒー(コマコーヒー)

屋台会館

高山祭 4/14,15(12台)、10/9,10(11台)+白山神社、飛騨総社=計25台 秋の11代と神輿1台展示。年3回、4台ずつ交代。ビデオ15分 屋台は250年前から作り始める。費用は旦那衆 日光館:日光東照宮の1/10, 20c発 33人、28建物、製作は旦那衆

飛騨の里

飛騨民俗村 オープン 1960年 高山は6月5日が端午の節句 茅葺thatched(合掌と入母屋)とクレ葺きwood shingleがある

<入り口を入り左へ>

<五阿弥陀池(水田の貯水池、氷作り)を右に見ながら。>

地蔵

@旧新井家 築200年ほど。100年ほど前に柱を変え、頑丈に。クレ葺きだが2F建て。藁を打つ丸い石。 <階段を上がり>

A旧中薮家 平均的な農民。屋根が低いのでクレ葺きがよくわかる。土間(「タタキ」)は、山の赤土+石灰+塩+水。幾日もかけて叩きながら水分を蒸発させて乾燥。年間を通じて一定の湿度を保ち、乾燥期でも土埃が出ないので屋内の土間としては最適の工法。馬の草履。

<立保神社は通らず>

C旧若山家(1595移設最初の建物)1797年

入母屋作りから合掌造(梁の下端が尖っている。釘ではなくネソ、きざはしという梁兼階段)に移動 荘川でも焔硝potassium nitrate作っていた? 1、2F見学可能。2から4F養蚕。

E旧田中家 1700年台はじめ 屋根が低いので、クレ葺きがわかる。 18世紀後半の国学者田中大秀、46歳で息子に薬屋の家督を譲り、古典研究。小作を管理する建物。柱や床にチョウナの後。 土間の土は固く、誇りが立たない。 農民の家は自分で建てた。移動が可能。

(F稲架小屋)

H旧西岡家 寺の庫裡 チョウナ梁 肥溜めは肥料に 藁細工の実演 <車田手前で左へ>

I旧前田家 豪農 畳敷き

12 旧田口家 1809年 隠し部屋、郵便ポスト(信用がある農家)集会に利用された

18 旧八月一日(ほずみ)家 庫裡、ソリ

<鐘堂で右へ、鳥居と階段の間を通る>

22 和紙漉小屋 コウゾ

21 旧吉真家 1700年台始め。入母屋造 股柱 1858年の地震207名が死に1m移動しても崩れなかった。

24 旧富田家 鉱山の運搬中継地

1950年代の高度経済成長期に、電気需要のためのダム建設や過疎で飛騨地方の村落が消滅していった。古い家30軒、民具約8000点を収集・保存。 飛騨は気候が厳しく貧しい。知恵を絞りユニークな道具や建物を作り出してきた。過去のノスタルジーを懐かしむのではなく、未来への知恵として活用してほしい。触って感じるliving museum

囲炉裏の費用毎日絶やさない(害虫駆除、腐らないように)。茅葺きは毎年部分的に変えている(本来は、20から30年はもつ) 長倉三

長倉三朗(陶工)